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あの娘をたずねて三千里 東陽片岡

第3回 タイへ

 だいたい、海外旅行なんちーたらワタシのバヤイ、現実的な感覚として、せいぜい香港かグアム島ぐらいしか頭に浮かびません。いきなしタイへ行こうなんて言われても、即答できる脳ミソを持っていないのであります。
 「絶対に行った方がいいですよ。きっとカルチャーショックを受けますよ」
 ワタシの目をジッと見て、普段でも怒っている顔の内田さんは、そう言い切るのでした。初めて内田さんに会った人ならば、おそらくその表情の迫力に負けて、すぐに同意してしまうに違いありません。しかし、怒っている顔でも怒ってないつー事を知ってるワタシは、しばし考え込んでしまいました。
 余談ですが、高校時代、普通の状態が驚いてる顔をしているという、書道の先生がおりました。いつもビックシ仰天しながら授業している光景を、内田さんの顔を見てたらふと思い出してしまいました。

 さて、タイであります。タイといえばやっぱし、パッと頭に浮かぶのはムエタイであります。昔のキックボクシングブームの頃、よくテレビで見てましたので、大変懐かしい思いがこみ上げてきたのでした。
 あの頃は日本キック系では沢村選手、亀谷選手などが活躍し、全日本系ではなんつっても藤原選手、大沢選手、島選手などが思い出されます。特にガキであったワタシは、比較的クリンチが少なくて技の応酬が解りやすい、日本キック系が好きでした。
 ですので、沢村選手がひいきだった訳ですが、この連戦連勝の沢村選手を、パンチ一発でKOした、チューチャイ・ルークパンチャマというムエタイ選手がおりました。この試合はちょうどテレビで見てまして、相手が一階級上の選手で不利だったとはいえ、ショックを受けたのを覚えております。その頃から、ムエタイの恐ろしさつーのを思い知らされるのでした。
 なにしろ、沢村選手をKOするような選手が、ウジャウジャといるムエタイ。ワイクーと呼ばれる戦いの舞いを踊り、妙な民族音楽を鳴らしながら行われる試合。まさしくその世界は、タイガーマスクの「虎の穴」どころではないアヤシサに満ちております。
 ムエタイには、ラジャダムナンとルンピニーの、それぞれのスタジアムに君臨する王者たちがおりました。そんな彼らに勝ち、ラジャダムナンスタジアム・ライト級王者のベルトを巻いた唯一の日本人、藤原敏男選手の偉大さを実感しない訳にはいきません。
 たとえばこの藤原選手をはじめ、オートバイのロードレース三五〇CC世界王者・片山敬済とか、モトクロス一二五CC世界王者・渡辺明選手みたいに、とんでもない快挙を成し遂げたにもかかわらず、さほどマスコミに取り上げられないつー風潮は、とても残念に思います。阪神の優勝ごときとはケタ違いのこれらの偉業は、もっと評価されるべきであります。
 なんつー事を考えつつ、内田さんへの返事を引き延ばしたワタシは、巣鴨の大沢食堂で肉豆腐定食を食っていたのでありました。
 この大沢食堂というラーメン屋さんは、奇しくも元全日本キック・バンタム級王者、大沢昇選手が経営しているお店だったのであります。アパートから自転車で五分程のところにあり、明け方まで営業しているので、たまに食いに行くようになったのです。
 初めてこの店に来た時は、ビックシしました。ナント、元全日本王者で、しかもムエタイの王者とも互角に戦っていた、あの大沢選手自身が、厨房に入ってメシを作っていたからであります。
 試合中の殺気に満ちた表情が、まるで想像できなニコヤカな笑顔で、定食を出してくれるのでした。
 それにしても、たまたま入った店に元全日本チャンピョンがいて、自分の為にメシを作ってくれるなんて、実にシビレルつーか、申し訳ない気さえしてくるのでした。

 そろそろ、夏の到来であります。いつの間にかワタシは三十歳になってしまいました。なんかこう、圧倒的に真性ホーケイのままの年月を多く過ごした二十代の十年間がヤケに寂しく感じられます。つー事もあり、生活に変化をつけようと、少し前からエロ雑誌のモデルのバイトを始めたのでありました。
 エロモデルつーても、風俗店紹介記事のお客さん役がほとんどです。知り合いの、フリーの編集者と一緒にアチコチの風俗店を回り、女の子とプレイをしながら写真に収まる訳であります。取材は早い時で一時間位で済む事もあり、それでバイト料が一万円も出るのですから、こりゃタマランと思いました。
 おまけに取材後は、居酒屋で酒まで飲ませてくれるので、こんなに楽しい仕事はありません。月に数回のこの副収入はとてもありがたく、できればこれだけで食っていきたい、なんつー妄想も起きてしまうのでした。
 そのかわり、写真がアチコチの編集部に残ってしまうので、勝手にエロ雑誌のイメージ写真として使い回されてしまうのですが、気にしない事にしました。
 おかげで、事務所とアパート代に毎月八万円を支払っても、少しずつ余裕ができるようになってきました。お金が増えてくっと、なぜか使いたくなるものであります。

 となると、急に気持ちがタイへなびき始めてしまいました。ツアー料金を聞いたら、い週間で十万円ちょっとという安さであります。
 「絶対に片岡さんは、タイが大好きになりますよ。行きましょう」
 今度は普通の顔をした内田さんが、とどめの勧誘をしてくれます。普通の顔の内田さんつー事は、つまり笑っている状態なのでした。
 彼が言うには、タイには独特の空気がまん延しており、そこにいるだけでイイ気持ちになれるのだそうです。そして、おネエちゃんが、とんでもなくキレイな人ばかりだと言います。太い足を出して、デスコテックでタコ踊りをしている不細工な日本の娘共が、みんな粗大ゴミに見えてくるそうです。
 そこまで言われたら、たとえ好奇心ゼロのシラケ世代代表のワタシとしても、食指をうごかさざるを得なくなってきます。
 つー訳で、ついにワタシはタイツアーに参加する事になりました。生まれて初めての海外旅行であります。家系的にみても、これは前代未聞の事件で、ワタシの親兄弟、祖父祖母まで、国外へ出た者は一人もおりません。二年前に死んだ母方のバア様など、関東から出た事すら一度もないはずです。親戚の伯父がひとり、フィリピン方面へ行ってきましたが、これは旅行ではなく出征であります。
 さて、そうと決まったら、さっそくパスポートを取得しなくてはなりません。東京都の旅券課へ行って、申請であります。また、おみやげがいっぱい入る旅行カバンも必要です。八月下旬の出発に向けて、あれやこれやと、忙しい日々が始まったのでありました。
(つづく)

著者プロフィール
1958年東京生れ。多摩美術大学デザイン科卒業。卒業後、雑誌のレイアウターやエロ本グラビアのモデルをしながら自費出版本「おゆき」を発行し話題に。94年「ガロ」にて『やらかい漫画』でデビュー。以来、畳の目を一本一本描く昭和の匂いの漂う画風で底辺に生きる人々を描き、独自のスタイルを確立。漫画以外でも、花村萬月、岩井志麻子より御指名で挿絵も担当。著書に『お三十路の町』『段ボール低国の天使たち』『うすバカ風俗伝』など。

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