なにやら景気がすこぶる良いそうであります。ワタシのアパートに遊びに来た友人の斉藤君からそのように聞き、それは本当だろうと思いました。なにしろ斉藤君は、大手の広告代理店に勤務しているし、六畳一間で、毎日毎日エロ本などの割り付け作業をしているワタシより、社会がよく見えているハズだからです。
確かにこの駒込周辺でも、商店街で外人をよく見かけるようになったし、ベンツやBMW、国産高級車がやたらと増えております。なんだかよく解らんが、世の中全体、ウキウキソワソワしている空気が感じられるのでした。
しかし、エロ本等の雑誌の、一枚二千五百〜四千円程度の割り付け代で月収が二十万円弱、ほいで二万八千円のアパートに住む自分としては、どうも実感が湧かないのであります。
ペラペラの紙に、文章や写真を構成してシコシコと鉛筆で描きこみ、赤ペンで指定をするというこの仕事を、月に百数十ページこなす程マジメに働けば、もっといい暮らしが出来るのです。とは言えワタシは、とりたてて現状に不満はありませんでした。
なんでか?と、昼前に起きてウンコをして、そして時にはオナニーをし、んで近所の六義園の池のカメにエサをやりに行くという、この緩い生活が好きなのであります。なにしろ一日八時間も働いてヘロヘロになって、ほいで日当四千五百円というバイト生活を考えたら、まるで天国だと思います。手に職を持つというのはなんとシアワセな事でしょう。
この楽チン生活ぶりに目を付けたのか、ある日、貧乏生活をしながら油絵を描いている、友人の原田さんというおネエちゃんから、「あたしにも割り付けをやらせて」と頼まれてしまったのです。
デザインのデの字も知らない奴が、いきなし出来る訳ねえだろ、なんて思いつつも、仕方なくアシスタントとして手伝ってもらいながら、割り付けを教えてやる事にしました。
ところが、絵を描いてるせいか、アッと言う間に彼女は技術を修得してしまいました。ひょっとして俺より能力があるのかも、つーようなプチ嫉妬を覚える程でしたが、案外、割り付けなんて簡単なのかもしれません。
困った事に、日々机で向かい合わせにおネエちゃんと作業してっと、やっぱしムラムラしてくる時があります。原田さんはどっちかつーと美人で、女優の斉藤慶子と十勝花子を足して割ったような顔をしております。身長は百七十センチ近くあり、ワタシよりも数センチ長身です。
ですからなるべく編集部回りなどの外出をさせて、彼女のいないスキにオナニーをして、性欲を処理していました。
また、彼女は酒が好きであります。ある時など夜遅くアパートに帰ると、机の横に足をおっ広げて彼女が寝ていて、ビックシした事があります。鍵がかかっていたはずなのにと思ったら、どうやら台所の窓から忍び込んだようです。酒を飲んで終電に乗り遅れたに違いありません。
ワタシの周囲には、原田さんみたいに絵を描く友人が何人かおります。そういう環境にいっと、なんかこう自分も何か表現したくなるものです。
ニューペインテングなんつーブームがちょっと前にありまして、影響を受けたワタシは、さっそくいづみやへ行ってB全パネルとリキテックスを買い、ベッチョリと絵の具を塗りたくった絵を描き、パルコのグラフィック展に応募したのであります。しかし、二回落選したので、自分には才能が無いと思い、ニューペインテングの真似はやめました。
会社勤めをしなくても、特に生活に困る訳でもなく、将来への若干の不安と淡い夢を抱きつつの、そんなホヨヨ〜〜ンとした芸術家的な友人達は、独特な個性があるので、音楽もそれ風な楽曲を聞くようになります。ワタシもエコー&ザ・バーニーメン、ニューオーダー、ブライアン・イーノなんつーのをカセットに録音し、陶酔しているフリをします。よく解らんが、イイ感じ、つー訳であります。
割り付け作業とカメのエサやりの、単調な毎日は相変わらずで、夜な夜な駒込駅ガード下の「駒そば」へ、五目ごはんセットを食いに行くのが、これまた至福のひと時でした。まるで低収入生活に頬ずりするような、そんな自分のセンス、資質を、素直に脳ミソが受け入れ始めているのを、それとなく感じておりました。
いよいよあと数ヶ月で、ワタシは三十歳になってしまいます。めでたく昭和六十三年が明けて、時の流れを実感するのでした。激動の七十年代と言われたけれど、八十年代はよく解らんうちに過ぎつつあるなと、自分のチンポを見て思います。
三年前に、真性ホーケイのシリツを終えたそれの先端は、相変わらず魚肉ソーセージみたいな初々しさを残しております。やっぱし余分な物は無くなった方がいいと、つくづく実感した次第であります。ちなみにその年に、ワタシは人より遅く、第一回目のおセックスを大塚のソープで済ませました。抜糸後すぐに行った為、縫い目から出血するという、オマケまでついてしまいました。
原田さんも割り付け技術が向上し、我がアパートでのアシスタント生活は終了しました。絵を描いている友人達も、三十歳が近づいたせいか、徐々に自分の生活を真剣に模索し始めているようです。そんな中、なんかこう、地にしっかりと足が付いてない不安感から逃れるために、スケッチ帳に筆ペンでメチャクチャ川柳を書き始めてみました。しかし、百枚ぐらいで挫折であります。
仕事もエロ本以外の雑誌から依頼が来始めて、ほんの少し、収入も増えてきました。立ち食いソバやシャケ弁ばかりのメシの日々に、少しづつカツ丼や焼肉を食える機会が増えてきました。
そんな折り、一階に住む大家が、アパートを建て替えるので、出てってくれないかと言ってきました。
引っ越す金が無いからと、ギリギリまでねばったのですが、結局、大家から金が出ないまま出ていく事になりました。新居は同じ文京区の白山で、昭和十年築という伝統あるボロアパートの二階であります。間取りは六畳、三畳、台所の2Kで、五万円です。しみじみ考えっと、少し高い気がします。
引っ越し当日、部屋で荷物をまとめていたら、玄関の横から女の子が二人、顔を上下に並べてこちらを覗いています。話しかけてみっと、なんとフィリピン人で、大家が経営するフィリピン・パブの従業員だそうです。どうやら大家は店子を追い出した後、建て替えまでの間、彼女達を集団で住まわせる魂胆のようです。引っ越し代も出さないし、まったく、とんでもない大家であります。
彼女達に対して悪意はありませんが、追い出される側として、屁でもかましてやりたい気分であります。とはいえ、こんな日の当たらない、暗い六畳から出られるスガスガしさもあり、ニコニコ笑ってフィリピンのおネエちゃん達に手を振りながら、白山の明るいアパートへ出発したのでした。
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