5月7日 日曜日
ステロイドは嫌だけれど、かつては魔法の新薬と言われたとか。
辞めることができないなら、自分でできることを何かしよう。
あらゆる代替療法に飛びつく訳ではない。時に漢方薬は重ねない方がいいと思った。
食事療法である。
玄米を二合たく。わたしの炊飯器は玄米対応ではないので、ぽろぽろだ。
一人だけ一緒に住む息子はシロイご飯が食べたいという。でも家賃ももらわないでおいてやってるのだ、文句はいわない。
なんだか料理が好きになってきた。きょう、はるさめを水に戻し、やさいといためた。片栗粉の入れ過ぎでだまになり、ほとんどフカヒレになったのはけがの功名。それと牛蒡を酢と塩でにていて、わすれた、焦げ付く寸前、味がしみて抜群にうまい。
丸森の佐藤徹さんにもらったエゴマオイル、なんにでも少したらす。
肉食の代わりに。
5月8日 月曜日
連休あけ。味覚どころか、性格まで変化したのではなかろうか。
きれい好きになっちゃった。
今日はレースのカーテンを?年ぶりに洗濯。脱水してそのまま吊るしたら、部屋がすごく明るくなる。
狭いから、厚いカーテンの方はとっちゃった。流しの整理、冷蔵庫の掃除、スプーン、ナイフ、箸箱の整理、旅先で買ってはその後食べない乾物や調味料がごっそりでてくる。3年
前にもらった無農薬玄米も出てきたけれど大丈夫かしら。(その後、玄米は3年は大丈夫とわかった)。
ゴミやほこりで人は死なない、とわたしはずっと掃除を怠けてきた。仕事しながら一人で三人育てるのに、仕方ない標語でもあった。歯科医だった母譲り。でもよくこんな汚いところで生活していたなあ、とあきれるばかり。
シーツだって気がつくと2ヶ月替えていなかったりして。といっても、それで誰も病気にならないじゃないか、と開きナヲッタのだがほれ見ろ、病気になったじゃないの。
自分の机の上に、ユタカの財布だの、サトコ宛の郵便がのせてあると捨てたくなる。この非寛容。はっとおもう。
これって自己免疫疾患だからかも。すなわち自分のものと自分のでないものを区別する。そして自分のでないものを攻撃する。
それが免疫の本質だ。なんと言うアナロジー。
5月9日 火曜
きのう、思い立って、前にわたしの膝痛をなおしてくれた形態矯正のH 先生をたずねた。
やっぱりそうとう神経系がつながっていない、にぶい、といったあと、
「あせらないことですよ。1年2年かけてもとに戻るくらいで、必要以上に不安にならないことですね。正しく不安になること。仕事は、優先順位をはっきりすればいいんじゃないの」
いつも助かるのはこういう心のケアである。
かとおもうと、連休明けなので、電話が多い。事情をはなすと、矢継ぎ早に詮索する人、心にもない同情を寄せる人、愚痴いいたかったらいつでも連絡してね、などというのだが、愚痴なんかいいたくないってば。あれこれ療法を進めてくれる人もいる。似たような症状の知人のうわさをえんえんとするひともいる。
自分を顧みて反省。その上、頭痛と耳鳴りに早口が響くこと。頭の中を滝が流れているようだ。
ほっといてくれるひとがいちばん。きのうは『東京人』の取材。今日は『歴史街道』のさいご。舌の味覚は変だし、お酒もおいしくないので、こまった。この連載が終わると月の定収入は4万円のみ。これからどうして暮らそう。文学は糊口のためにあらず、と樋口一葉は下谷区竜泉で小間物屋を始めたが10ヶ月しか続かなかった。仕事と暮らし、万古不易のテーマ。してみると、3年しか続かなかった大学はわたしにとって小間物屋みたいなものか。 |
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