バジリコバジリコ|basilicobasilico
Home > バジリコバジリコ > 明るい原田病日記――私の体の中で内戦が起こった

明るい原田病日記―私の体の中で内戦が起こった 森まゆみ
私はこの4月、100万人に6、8人しか発症しないという原田病にかかりました。この病気、知られてないし、情報があまりに少ない。 そこで私の体に起こった事を書いてみます。

第35回 西へ東へ

4月1日
ユタカ、ついに滋賀の工務店に入社。近江大工の技を学び磨くのだとか。
三食付きの寮は4畳半しかないというので、本や衣類、少しだけをレンタカーにつめて出発した。

4月5日−15日
全米のアジア研究者が集まる会議がアトランタであり、ブースで谷根千を普及するためにいく。そのあと、コロンビア大、エール大、ハーバード大も訪ね、図書館を見学させていただく。
日本と違い、アメリカの図書館員、ビブリオグラファーと言われる人たちは選書の決定権とかなりの予算を持っているのに驚く。
そのあと、デートンで長崎に原爆を落としたボックスカーを見たり、インタビューもしたりの忙しい10日間で、飛行機に何回のったことやら。
ちょうどマルチン・ルーサー・キング牧師の命日に根拠地のアトランタにいられたのに感激した。
しかもその飛行機の遅れることと行ったら、乗り継ぎもどんどん遅れ、もうへとへと。こんなハードスケジュールなら来るんじゃなかったという言葉が何度も出そうになる。先に自分の病気について同行者にきちんと言っておくべきであった。先に言って理解を得ておかないと、私はただのわがままということになる。

4月18日
西ドイツのメルケル首相がイスラエル国会でした演説がなかなかよかった。ワイゼッカーにしても日本の政治家に比べ、かなり深いことばをもっている。
ナチスの非人間性はほとんど信じられないけれど、アメリカの人種差別、いまもそれはアフガニスタンやイラクで発揮されている。もちろん原爆投下にも。
もちろん日本の中国や朝鮮半島でしたことも同断だ。というより、戦争遂行のためには人種差別をあおらねばならないのであろう。
NHKの番組で20世紀のダンディーを決めるという変な番組があり、金子光晴やダリや周恩来が業種別に推薦された結果、最高のダンディーはエドワード・サイードということになった。変な番組。

4月25−27日
島根の木次で寄田君が田中さんの養鶏場の跡に牧場を開くというので、そのオープンのお祝いに行く。
田中さんはクリスチャンの素晴らしい方で、膵臓がんの末期なのに、島根の未来のため、土地を提供することを決断された。
わたしは少し心配して、佐藤忠吉さんに大丈夫かなあといったら、なあに、田中くんは最後の舞をまうつもりでいるんじゃ、その舞台ができた。あとはわれわれは観客席で見るだけです。との答えにうなるばかり。
最後の舞、すなわちそれがこの世からの田中さんらしい退場の仕方、お仕舞ということなのだろう。心すべきことである。

4月28日
「蟻の兵隊」という素晴らしいドキュメンタリーを撮った池谷薫監督と平凡社の山本明子さんたちと浅草でのむ。
中国に置き去りにされた日本兵、数千人は澄田という司令官に国民党の閻錫山に売り渡され、国民党軍として戦いそのうち数百人が死んだ。なくなった元日本兵にも、生きて帰った元日本兵にも何の保証もないという。
久しぶりに自分の才能と仕事を信じている元気な人に会い、たのしかった。このところ耳鳴りひどし。図書館で本を何冊か借りて来るが、どれも要領を得ず。常世田良さんがいうとおり、今の区立図書館にはわかりやすく書かれた一般書はあるが、それ以上の医学情報を得ようとしても専門的な本がない。それは医学出版社が出す医学生向きの高額な本しかないのか。そのギャップたるや甚だしい。多田富雄「免疫の意味論」くらいの専門性のある、しかも文学的でもある一般書にはお目にかかれない。そういうと私の研究者の友人は論文書くだけで精一杯だよ、一般書なんて書いていたら業績にならないし、研究の世界で競争にならない、というのであるが。それに日本には信頼できるサイエンスライターもきわめて少ない。とにかく、耳鳴りの90パーセントは原因が分からず、90パーセントはなにをしてもよくならないということらしい。

著者プロフィール
1954年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。作家、地域雑誌『谷中・根津・千駄木』編集人。著書に『鷗外の坂』(新潮社・芸術選奨文部大臣新人賞)、『「即興詩人」のイタリア』(講談社・JTB紀行文学大賞)、『彰義隊遺聞』(新潮社)、『一葉の四季』(岩波新書)、『円朝ざんまい』(平凡社)、『自主独立農民という仕事』(バジリコ)など多数がある。

Page Top