4月22日 日曜日
ますます世界のゆがみはひどくなり、ムンクの叫びという絵のようである。心配してやって来た娘が笑うと、アメリカの風刺漫画みたいに、歯がにゅっと飛び出てる。「あ、ビーバー。」どのように見えるか、絵で描いてやるとサトコは大笑い。「何よ、腹出し病のくせに。」
この病気は原田英二郎という先生が私の産まれた昭和29年に発見、ほかに小柳氏病、フォークト氏病とも言う。ハンセン氏病、摂氏などと同じく、原田氏病なのだが、私の場合腹出し病とみんな笑うだろうなあ。
選挙に行く。人が15等身に見える。わ、足ながーい。豊島園のマジックミラーみたい。「お母さんてこの期に及んでのんきだね。」という娘に付き添われ、休日でしずかな女子医大病院にはいる。おもえば産院に入ってから 20年ぶりの入院。大部屋はいっぱい、ふたり部屋しかあいてない。差額ベッド代1万円とか。
4月23日 月曜日
まばたきするたび、目のふちに変な白いあぶくが浮かんでは消える。ぽわん、ぽわんと。目を閉じると暗い夜空に紫色の点が北斗七星のように見える。きれい。今日はいよいよ朝から検査。そのためにきのう入院したのだ。
昨日の夜、学会から帰ってえっちゃんが寄ってくれた。「モリベが病気で私もショックよ。」「忙しいのに。私の血液、異常なかった?」「うーん。まあ高級食材系というのかな――。」たしかに。このところ、旅の取材で、ごちそう続きだった。そうでなくても私はエビ、かに女。「尿酸値がすこし高い。」そんな会話を思い出していると、呼び出しが来た。
何人かの先生にみてもらう。部屋は暗い。左手に拡大鏡、右手にライト。先生によって、右です、左です、という方もあれば、右下をご覧ください、という方もある。当方、それにつれ目玉をぐるぐる動かす。真打ちという感じで、島川真理先生。
原田病をパソコンで検索するとまず、島川先生のサイトが出て来る。娘はプリントアウトしてくれてあった。
「典型的な原田病になってきましたね。」長身。ポニーテールに髪をきりっと結び、テキパキした先生。私より少しお姉さんか。
「原因はわからないそうですね。」と私。「ただの過労や加齢でおこるとはかんがえにくいですね。」
視力検査では、今日0.4まで落ちてしまっている。視力はもう戻らないのだろうか?「今の時点ではなんとももうしあげられません。」
サイトは拝見したのですが、どういう事なんでしょう、簡単に言うと。
「ウイルスが体の中に入って、メラニンにいたづらしたんです。それで、自己免疫がこれは自分じゃないといって、メラニンを攻撃しだした。それでメラニンの多い部署にいろいろ症状が出てくるのです。目とか。脊髄とか。頭痛、耳鳴り、めまい――。頭痛で脳神経科に行って病名の診断がつかず、重症になるひともいます。早期発見、早期治療が決め手ですから。」
どんな治療ですか。「ステロイドの大量投与しか、いまのところありません。」
病室に帰ると、昼食。ピンクのトレイを、ベッドの上のテーブルで食べる。おいしい。焼き魚、ニラともやしの煮浸し、ご飯にみそ汁、漬け物。
こんなあっさりしたご飯がむしろ新鮮。打ち合わせだの、打ち上げだのいって、中華やイタリアンを食べつけたこれは報いだ。記者や編集者たちもこういうエスニックや激辛がすきだ。みんな都会の競争をいきのびるため、はあはあいってアドレナリンを出しているのかも。
午後は髄液検査。それをやって初めて、病名が確定できる。しかし脳圧が高い人にその検査はできないので、その前に、CTをとる。そのためには同意書がいる。そのまえに―――ああ、たいへん。
髄液検査は痛いそうですね、と針を持つ人に聞いた。「いえ、子供さんでもそんな痛がりませんよ。細い針でゆっくりとります。」
髄液って茶色いんですか? と言うと笑って、きれいな透明ですよ、見せてあげます。と言ったのに、とり終わるとすっかり忘れていってしまった。
痛くはなかった。髄液中の白血球の数が増えている事で、はっきり原田病と診断された。今日から早速、ステロイド200ミリグラム。明日も 200、あさって100、しあさって100ときまった。パルス療法という1000の超大量投与もあると、書いてあったがそれはやらないらしい。
サドンデスもあるから注意して、と誰かがつぶやいたのが聞こえた。英語でいったってわかるがな。
ベッドサイドで点滴2時間、長かった。
4月24日 火曜日
朝、病棟で回診。私以外は白内障で手術をした年配のひとがおおい。3ミリ切ってレンズを埋め込む。島川先生はその名手でもあるらしく、おばあさんたちが神様みたいに、思っているのがわかる。朝はパン食を頼む。ヨーグルトやバナナが付いて来る。パンはラウンジでトーストにする事ができる。
目が見えないのでそんな余裕はない。このまま失明したらどうしよう、そう思って、入院前、滅多にやらないパソコンだが、2日でブラインドタッチで打てるよう練習した。音声入力というのもあり得る。しかしどっちみち資料は読めないだろう。資料で書くのが仕事の私にはつらいことだ。
一方、もうさんざん書いたし、読んだしな、もういいやという気もする。入院前、藤沢に下宿している次男がとんできた。涙こぼして、「もう大学なんてよして、お母さんの仕事手伝うから。」と言うのである。その子は私とちがって大得意のパソコンで原田氏病を検索しまくり、「まあ、命に別状はないようだな」と落ち着いた。
ついでに残った原稿1本、口述筆記してもらった。
病院生活も忙しい。1日8回、リンデロンというステロイドの目薬を差す。2回ミドリンP というサンドウ薬をさす。サンドウの字が分からない。瞳孔を開くのだそうだ。眼底を診察するためと、瞳の収縮が悪くなりがちなので、目のためにも。これを差すと視界がぼんやりして、何も見えない。
どっちみち見えないのだけれど。その他、ステロイドはとてもよく効くが、副作用も多い。1、ムーンフェイスになる。2、骨粗鬆症になる。3、糖尿病になりやすい。4、胃を荒らす。その他諸々。で、ベネットという、骨粗鬆症にならない薬を起床時に、それから、胃薬、ビタミン剤も飲む。
ベッドの脇にテレビが一人ずつにあるが、1000円出してカードを買い、10時間みられる仕組み。といっても選挙のニュースみてもオザワもハトヤマもアベも誰の顔も真っ黒に見える。
今日もステロイド点滴200。私の血管が細いのか、いつも採血の際、あちこち刺されるが、今回は一発で決まり。点滴の針は手首に刺したまま留めてある、それに管を繋げば良い。
透明な液がゆっくりぽつん、ぽつんとおりてくる。なにもすることなし。
ケロこと編集者の後藤恵子さんが梅干しと塩昆布を持ってきてくれた。たしかに病院食は塩気が少ないからうれしい。
いかに自分が濃い味が好きかわかり、反省。病院食がこれで1600−1800カロリーなら、確かにいつも食べ過ぎだ。そのうえお酒も飲む訳だし。
でもいまはちっともお酒は飲みたくない。
毎晩、回診がある。私の担当は森永先生という若い男の先生だ。といっても眼鏡とマスクをしていて、年もお顔もよくわからない。
耳鳴りがひどく、眠れない。窓からごちゃごちゃな住宅街と新宿の高層ビルが見える。まあ、人間がこんなにおりかさなって住む必要があるんだろうか。
そういえばこの近くの病院に、須賀敦子さんが入院していた。なかなか見舞う勇気がなくて、やっと行ったとき、須賀さんは病気のはなしはせず、ここから見てると東京の町をこんなにみにくくしたお詫びを誰にしたら良いのか、わからなくなるわといっていたっけ。
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