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明るい原田病日記―私の体の中で内戦が起こった 森まゆみ
私はこの4月、100万人に6、8人しか発症しないという原田病にかかりました。この病気、知られてないし、情報があまりに少ない。 そこで私の体に起こった事を書いてみます。

第29回 年末年始

12月28日 金曜日
丸森へ丸森へ。帰心、矢のごとし。1月5日まで、目によく効く小原温泉、傷によい鎌先温泉で湯治。地元にくわしい人がいると正月3が日でも泊まる温泉を探すことができる。
鎌先の最上屋さんは3000円で自炊棟に泊まれた。これもいいな。今のクラインガルテンは東京の借りていた仕事場の4分の一の家賃であるが、月10泊したとしても1泊3000円である。とうていそんなに泊まれない。いくら近くに温泉があるといっても車で40分、1時間。それなら湯治場にいれば毎日何度でも入れるし。トランクに仕事詰めて湯治場から湯治場へ。寅さんみたいなのがあらまほしき姿かも。鎌倉温泉というひなびた湯もいいが、湯船がうんと小さいし混んでいた。ナオコさんと遠刈田温泉に行って神の湯にも入ったが、寿司屋や焼き肉屋もあり小さな商店街もあって、この町もアパートなど借りて住んでみたくなる。

1月6日 日曜日
というわけで正月家族はばらばらだった。サトコは北海道往復5日以内なら1万円 という切符で岩見澤の父方の祖父母に会いにいき、ユタカは恒例の沖縄の牧場へ、ヒロシは大学のレポート山積で帰れず、わたしは丸森。夕方、帰って来たユタカとウナギを食べにいく。生協のパック入りうなぎしか食べたことがないというので。ところがうなぎ屋さんはみんな律儀なのか、日曜日休み、神田川も尾花も休みで、神田のきくかわにいく。ボリュームすごく美味しかった。家族連れの扱いなどに老舗の風格を感じる。
かえりに多町の後藤禎久さんのところに挨拶によったらやっぱり、上がり込んで長居することに。後藤さんのお父さんは後藤錦という有名な棟梁だし、後藤さんも一級建築士で建築にたづさわる人、大工の息子には大変な勉強の機会になった。東神田の鈴木正道さんも風呂上がりのいい顔色で現れ、斎藤月岑だの神田明神様の神輿だの山車だの、ものすごい話題が飛び交う。田畑さんの お嬢さんが今日、成人式の晴れ着で挨拶に見えたというし、鈴木さんは挨拶の手ぬぐいならぬ、タオルをくれるし、神田ってとこは古き良き東京のしきたりが生きているのである。おかみさんは急の客に魔法のようにちゃんとごちそうを出して下さるし、ここの家族は素晴らしいの一言。いつもわたしたちにごちそうやはしを運んでくれる亮太くんはことし、大学を卒業して、超人気の企業に就職がきまったとか。この家族にして、この青年ありなのである。

1月13日 日曜日
電話とファックスの具合が悪く、ファックスを買い直してもダメなので、助っ人守本香織さんをお願いしたらいかれているのはルーターだった。しかしこの機種はもう作っていないというし、思い切って光通信に変えることにする。KDDIに電話し、申し込み、プ ロバイダーを無料期間が長く、ただで設定 にも駆けつけてくれるビッググローブにしたのだが、1ヶ月経ったのに連絡もないし誰も来ない。どうにもならない。電話するといつも音声ガイダンスでただいま混み合っています。この人間が出ないシステムはホントにイライラする。飛行機会社も銀行も。わたしのようなアナログ人間やお年寄りはどうするのか。ちかごろ、なんでもパソコンで予約する方が安 くて得。結局、ヒロシを呼んで設定をやってもらう。光通信の驚くべき早さ。しかし相変わらず電話 は使えるようにならない。携帯からは無料通話はかからないし。
ずっと耳にあてたまま、順番にお繋ぎしていますというのを待っているのも耳鳴りがして耐えられない。どっさり説明書みたいなものを送って来て、よくお読みくださいとあるが、目が見えない人にも読めというのか。ものすごい小さな字で企業側の免責事項がかいてあったりして。最近、展覧会や試写会のはがきも小さくて読めないし、気取って銀文字や薄い色で印刷してあるのが多い。
読めないものは行かないようになってしまった。それでいいのだ。た まに大きな字の名刺をもらうとほっとする。

著者プロフィール
1954年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。作家、地域雑誌『谷中・根津・千駄木』編集人。著書に『鷗外の坂』(新潮社・芸術選奨文部大臣新人賞)、『「即興詩人」のイタリア』(講談社・JTB紀行文学大賞)、『彰義隊遺聞』(新潮社)、『一葉の四季』(岩波新書)、『円朝ざんまい』(平凡社)、『自主独立農民という仕事』(バジリコ)など多数がある。

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