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明るい原田病日記―私の体の中で内戦が起こった 森まゆみ
私はこの4月、100万人に6、8人しか発症しないという原田病にかかりました。この病気、知られてないし、情報があまりに少ない。 そこで私の体に起こった事を書いてみます。

第21回 丸森行ったり来たり

7月21日土曜日
楽しみの丸森。畑にあるもので暮らす。レモンバームやミントのハーブティー、ヨモギの葉でふーちばー雑炊、蕗のきんぴら、タンポポのサラダ、ズッキーニのグリル、トマトのピクルス、苦瓜の炒め物。
ゴーヤは葉を茂らせ、日よけになってくれてうれしい。日中、陽が陰らないととても畑には出られない。ただ朝夕はぶよがいて、さっそくかかとをやられた。
蚊どころではなく、かゆいかゆい。でも虫を恐れていては田舎暮らしはできない。今日はみっちゃんが蛍の名所に連れて行ってくれたがまだ早いのか、見られなかった。
夜中、帝政ロシアに関する『ニコライ暗殺』を読んでいたら怖くなる。人気のない山の中だし。ここはテレビがないのでNHKラジオを聞いているが、ラジオ深夜便の中でたまにバラバラ殺人のニュースなど出て来るとぞーっとする。一人暮らしの年寄りがリスナーに多いのだから、そんなニュースは朝になってからでもいいんじゃないの。私たちにとりわけ関係ないことだ。わたしたちはなんとたくさんのことを知らされてしまうことだろう。遥か彼方の殺人なんて知る必要があるのかしら。いや苦しむ人のことは知る必要がある、それにコミットできるのなら、その人の傷みに寄り添えるのなら。でもいまのワイドショーなやってることは自分は安全地帯にいて人のプライバシーをのぞこうというオカルト趣味だ。スズカが出て来たらチヅコは消えてしまった。

7月28日土曜日
まだ丸森。みっちゃんちに遊びにいくとお父さんが「あがらい」という。おかあさんが「食べらい」とトウモロコシを出したくれた。
この辺の人は、「よくござったない」「ありがとない」とのんびりいう。東京の速い口調で仕事先から携帯に電話がかかって来るとついていけない自分を感じる。
甲高く、敬語の多い割に内容もまごころもない言葉の羅列は早く切りたくなる。あとで送らささせていただきます、なんて舌がもつれてる人もいて。お送りします、で十分ではないか。説明させていただきます、も説明いたしますでいいのに。させていただくの羅列に内容が全然あたまにはいらないというシンポジウムが多く、もう行かなくなった。この前は拝見させていただいて、という人がいて、びっくり、ホームレスの方々がいらっしゃって、なんてひともいる。
ばっかじゃなかろうか。人は差別意識を隠すために敬語をつける。お手伝いさん、小使いさん、運転手さん、大工さん。うちの息子は大工だが、さん付けはきらいみたい。尊敬される、いいと思われている仕事にはまずつけない。監督さん、建築家さんともいわない。でも姉歯のおかげで一級建築士の地位はがたおちだと建築家の友だちは嘆いている。まあその程度のもんだろう。きょう夕焼けが素晴らしい。じっと遠くを見る。

8月3日金曜日
女子医大。きょうからステロイド5ミリを3日おきになる。目のそこは典型的な夕焼け状眼底になってきましたね、とか。これは外めにはわからないが、先生がのぞくとわかるのだとか。いままで1例だけ、メラニンが再集結して夕焼け状が治った例があるそうだ。
生活には支障ありませんというがどうして、夏になればなるほど、まぶしくてまぶしくて。サングラスは必需品である。なのによく忘れ、パニックになる。そして地下鉄に乗るとこんどは老眼鏡を持ち出し本を読む。いや最近はめんどくさくて本は読まなくなった。読書量は急激に落ちている。それでいいのだ。焦って読まないことにしよう。この20年ほど、日本の新作小説はよっぽどのことがない限り読まない。「目を惜しむ」。きのう読んだのは『国崎定洞』。東大の助教授であったがドイツ共産党に入り、スターリンに粛正された人。学識ある真摯で骨太なおとこだった。

8月4日土曜日
部屋の掃除ばかりしているので、むかしの父の写真がいっぱい出て来た。それを小さなファイルに入れてみる。
傑作選。背が高く、温厚で頼もしかった父。旅館でくつろいでいるところ。弟を抱いているところ。患者さんを診ているところ。
父は私に取って世間だった。離婚したときは父は泣いた。その後、講談社から本を出したとき、照れ隠しに、作家なんかになりたくはないんだけど「谷根千」だけじゃあ食べられないから、といったら、父はまじめな顔をして、いや、お前がこれから子供3人自分で養っていくならその道しかない、がんばってやれ、といった。その本『抱きしめる、東京』は大きな賞の候補にもなったが、ちっとも売れなかった。父は読んでから、もっといいものを書けよといった。
その次、『明治東京奇人伝』が出たときこの本は結構売れてんの、ともっていくと、そりゃあよかった。ただし売れるとかならず足引っ張るやつが出て来る。こころして行け、と父はいった。そんなことが、写真を見ていると思い出される。宮本百合子全集の日記を読んでいると、階層はだいぶちがうが、百合子と父中条清一郎との関係が、自分と父に似ているので、読むほどにせつない。

著者プロフィール
1954年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。作家、地域雑誌『谷中・根津・千駄木』編集人。著書に『鷗外の坂』(新潮社・芸術選奨文部大臣新人賞)、『「即興詩人」のイタリア』(講談社・JTB紀行文学大賞)、『彰義隊遺聞』(新潮社)、『一葉の四季』(岩波新書)、『円朝ざんまい』(平凡社)、『自主独立農民という仕事』(バジリコ)など多数がある。

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