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大阪からワシも考える 江弘毅

第4回 「どこのもの」でもない言葉の氾濫

 週末にAirMacを買いに大阪駅のすぐ前にある大型家電量販店に行った。1階のケータイやデジカメやパソコン売り場では、キャンペーンギャルが肌の露出は少ないもののまるでレースクイーンのノリでデモンストレーションをやっている。吉本のイベントはともかくこの世界の呼び込み(いやナレーション)は「どこでも標準語っぽいねんな、しかし」などと思いながらマックの売場に行ってAirMacのコーナーを探し、設定の仕方やプリンターの接続法などなどを黒い制服シャツを着た店員さんから説明してもらう。
  ここでも説明は「USBにおつなぎになればぁワイヤレスで共有できますからぁ」と変な標準語である。キミそれまるでオカマみたいな喋り方やでぇと思うが、どうして大阪弁でないのか、というのはよくわかる。それは市場の魚屋とか街の電気屋さんと違うからだし、ハンバーガーのマック(マクドと違うぞ)もスタバもローソンも関西弁は使われてない。けれどもそのことばは正確には標準語でもない。
  これが大阪においての現在進行形のグローバルスタンダードの現場である。なんていう話はまるでしょうもない。だからやめる。
  大阪弁について芥川賞を受賞した川上未映子さんのインタビューが「文藝春秋」に載っているので読んでいると、川上さんは東京に住んでいるそうだが、普段の会話がせんぶ大阪弁だとのことで、そのこだわりについて訊かれていた。
  川上さんは、
  「自分が大阪弁なのは変える理由が無いからですね。標準語で喋ると、脳味噌の一部がすごく硬くなっている気がするんです。イントネーションが分からんまま、探りながら喋っているから、すごい疲れてしまう」
  と答えていた。大阪弁を「変える理由がない」というのは、あたりまえのようでいて、なかなか微妙なことである。よその街に行って大阪弁(関西弁)を話すのは大阪人(関西人)だけだ、とはよく言われることであるが、九州や広島の人(なぜか西日本が多い)が大阪でも東京でも、「〜しとうとですね」「じゃけー」とかを話すのはよく耳にすることがある。たぶんその人たちは「変える理由がない」ということでなく「変えられない」というのが正確なところである。もちろんそういう人も関西には多い。いや、全国どこにでもいるはずだが、上方人の多くは「どうでもええ」と思っている。
  このどこでも大阪弁で喋ること、さらに書くことについては、わたしがまさにそうであるので、よく考えることがある。仕事がそういう仕事なので、どうでもええやんけ、とは思えないことがあるのだ。

  京都や大阪や神戸で育ち、地元で社会生活を送ってきた人間は、仕事で東京に行って、商談や打ち合わせや会議などの時も、あまり気にせず関西弁でしゃべっている。それは恥知らずにも堂々と方言を話している、という意識はない。関西弁を話さないことの理由がないからだ、

  これは『「街的」ということ』のでわたしが書いた一節(p.214)だが、そういってもわたしの喋る関西弁は、岸和田だんじり関係者の場とオフィスと、はたまた東京の編集者との打ち合わせとでは違う。東京にいる仏人のルノーさんと電話をしているときに、横で聞いていたスタッフに「東京弁で喋ってますね」と言われることがあるが、それは「いうてはりました」とか「それはちゃいますわ」とかの大阪弁はガイジンさんには伝わりにくいので「おっしゃってました」「それは違いますよ」となる。イントネーションはまだまだ関西弁だが使う語彙が違う。
  田辺聖子さんの『大阪弁おもしろ草子』(講談社現代新書)は85年頃書かれた連載ものなのだが、その中に「明治政府が唱導強制した標準語・共通語はいち早く上方にも広まって、私などが小学生のころ(昭和十年代はじめ)は、もう大阪弁を使うのは品がわるく無学なあかしのように思う気風が、大阪の若いインテリの間にあったように思う」とあるのだが、昭和40年代にわたしが岸和田の街中の小学校の低学年の時に、確かお寺の娘の先生が、ちょっと標準語的なしゃべり方をしていた。クラスの中でも3学期の学級委員的にお勉強が出来た小学生たちには、それがちょっと賢そうに見えて「カッコいい」などと思って真似をするものがいたが、街場の親父、母親たちのなかにはあからさまに「あの先生は様子する」「気取ってる」「エラそうや」という人がいた。
  田辺聖子さんの場合は、岡山出身者の「若きインテリ」の母から、「そうやしィ」「あかんしィ」というと、下品だと叱られた。しかし「大阪弁の語尾を東京風にするというのは、むつかしい以上に、首をくくりたくなるような恥かしさがある」とのことで、「芝居のセリフをしゃべらされているようになり、言葉の生命力が失われてしまう」と書いている。その顛末は、祖父が「じゃらじゃらした怪っ態なコトバ使うもんやない!」と一喝して、田辺家の言語近代化方言矯正運動は立ち消えになったそうだ。大阪の街的極まりない話だけれど、そうなるとヨソ者のお母さんはちょっとかわいそうだ。
  以前ワインの取材で山梨県に行ったとき、ブドウ農家の人がきつい大阪弁を話す取材チームを訝り、その上で「山梨には方言がないですから」と威張るように言ったことを記憶している。また岡山にお嫁に行った神戸の若い女性が言うには「神戸弁をそのまま話すといやな顔をされる。こちらが標準語で喋ろうとしてるのだから」とのことだ。神戸から岡山までは新幹線で半時間の距離である。
  書き言葉の関西弁はまた状況が違ってきている。関西弁で書かれる小説は、西加奈子さんや川上さんの作品もそうだが、町田康さんの河内十人斬りの『告白』は、もう大阪弁それも最も汚い激しいと言われる河内弁の乱れ打ちである。大阪弁というのは、あくまでも話し言葉であり、書き言葉の場合は若干違う。
  そんなこと言われても分かりまへんがなとか、難かしてどもなりませんわなどというようには書かない。これでは読みにくいからだ。あえて書く場合は会話文として「 」の中に入れてしまうことが多く、わたしたちが関西ローカルでやってきた『ミーツ』の場合もおおむねそうである。
  『告白』の場合もその通りであり、「 」内は胸のすくような河内弁の啖呵の連発である。  

  「なんやと、この餓鬼ゃ、一緒さひてくれやとお? はっはーん、ちゅうことは松永が縁談断ってきたんもどうせおどれが向こう行て、百万だらええ加減吐(ぬ)かしたからやろ。なんちゅうことをさらすんじゃ、あほんだら。銭をどないしてくれんね、銭を。それを先に言わんかいな。銭をどないすんのんか。銭のことも言わんとなにが嫁くれじゃ、あほんだら。銭のないもんに娘やれるかいな、あほらしい」といってトラは立ち上がった。(p.598)

  これは大阪弁(正確には泉州弁)を母語とするわたしにとってもちょっと読みにくい。なぜなら河内弁だからだ。しかしながら、「一緒にさひてくれ」は「一緒にさせてくれ」であることがわかるし、「百万だら」は泉州弁では「百万たら」だとわかる。
  小説のリアリティは必ずその現場、つまりそこだけの時空を描き出すことで成立するが、読み手はそのテキストを逆に普遍的なものに引きつけて読み取る。
  大阪や京都の中学・高校では、関西出身者の先生が多く、現国の授業の際の朗読も関西弁でやっているのが通常だが、宮沢賢治の「永訣の朝」を朗読するのに「みぞれはびちょびちょふってくる」も「あめゆじゅとてちてけんじゃ」も関西イントネーションで読むことになるのだが、町田さんの小説を読み見たことのない河内のひと昔前の農村を感じるのと同じように、行ったこともない普遍的な東北の冬の寒さ暗さが情景として浮かび上がる。
  今の日本では、街中でも田舎でもどこでも土地の風景も店舗も商品も大変似ている。またインターネットを含めこれだけ過剰に発達した情報化社会では、京都嵐山の桂川も大阪のきつねうどんも、そこの固有の風土や文化といったものでなく、消費を前提としてラベルが貼られ透明パックに入れられたような商品情報になっている。
  言いかえると、特定の地域らしさとか地域生活地域文化は、もはや「どこのもの」でもなくなっている。差異があるとするなら言葉で、だからこそわたしや川上未映子さんの関西弁があると思うのだが、Mac売場やマック(ドナルド)やコンビニでは、「どこのもの」でもない言葉が、大阪でも博多でも話されている。
  どんどん大阪(関西)弁で書かれるものが世に出てきて店で商品として並べられる反面、その店ではそうでない言葉が話されている。このねじれを関西弁を話さない人はどう捉えているのか、教えてほしい。

著者プロフィール
江弘毅(こう・ひろき)
1958年岸和田市生まれの岸和田育ち。ずば抜けた時代感覚と声のデカさで圧倒的な存在感を見せる岸和田の編集者。『Meets Regional』(京阪神エルマガジン社)の創刊に関わり12年間編集長を務め、現在編集集団140B取締役編集責任者。著書に『「街的」ということ』『岸和田だんじり祭若頭日記』など。『本の雑誌』で「ミーツへの道」好評連載中。

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