スポーツというものに一切、関心がない。
バイクや車は、やかましくてかなわない。グルメとやらにはうんざりだ。旅行は面倒だし、収集癖もないし、ファッションに至っては、皮膚の上を何らかの布地が覆ってさえいればいい、というほどにしか考えていない。
無趣味で無粋で無道楽、履歴書の「趣味」の欄には「読書・映画鑑賞」などと平々凡々なことを書くしかない無味乾燥な男。それが私である。
だが、そんなつまらない男が、今までの人生の中で、生涯においてこれ以上入れこんだものはない、と断言できるほど熱を上げたものが、たったひとつあった。
恋愛でも賭け事でも、無論、原稿を書くことなどでもない。
UFOである。
私は小学三年生であった。巨人が勝ったの勝たないの、ランボルギーニがどうしたカウンタックこうしたといったことに同級生が熱中している脇で、小学生は一人、UFOに思いを馳せていた。
一にUFO、二にUFO、三四がなくて五にUFO。六以下も全部UFO。と、いうぐらい、小学生の頭はUFOで一杯だった。クラスの席替えや委員会の選出といった、小学校における重要な政治的問題より、軍隊や科学者でさえ解明できない、未確認の飛行物体が空を飛んでいるという事象の方が、大問題であった。
多くの人がいまだに考え違いをしているが、UFOとは「空飛ぶ円盤」のことではなく、ましてや「宇宙人の乗り物」などではない。UFOとはその正体が確認できない飛行物体、「Unidentified Flying Object」のことだ。
航空機ではないかと思われる飛行物体でも、機種も所属も不明であれば「UFO」だし、隕石ではないかと思われる火の玉や、放電現象を疑わせる発光体でも、正体が確認できない限り、それも「UFO」である。
UFOが存在するかどうか、などという議論はまったくナンセンスなのだ。UFOが存在するかどうかといえば、これは確実に存在する。確認できない飛行物体が存在することは事実であり、また、それだからこそ「UFO」という言葉も生まれたのだ。つまり議論の眼目はUFOが存在するかどうか、ではなく、その確認できない飛行物体は一体何なのか、ということなのだ。
「あなたはUFOを信じますか?」
こんな質問するやつはバカだ。マヌケでアタマ悪くてアホでウンコで、ムチモーマイだ。
UFOは未確認の飛行物体全般を指すんだから、信じるも何もそれがあるのは当たり前じゃないか。ばっかだなァ。だいたい「ユーフォー」という呼び名が間違ってんだ。あれは正式には「ユー・エフ・オー」と呼称しなければならないのであってUFOを「ユーフォー」などと発音しているのは日本人だけなんだよ。外人に「ユーフォー」などといっても通用しやしないんだ。ああ、何と恥ずかしい国だ。UFOは「あんあいでんてぃふぁいど・ふらいんぐ・おぶじぇくと」なんだ。ほんとにみんな、なんにもわかってない! 小学生は憤然と考えた。
「『ユーフォー』なんてまちがいだねー、『ユー・エフ・オー』が正しいンだもんねー! 知っらないのォ。バッカじゃねえのおー!!」
「昨日テレビでユーフォーの番組がさー」
誰かがそんな事を言おうものなら、小学生は鬼の首をとったかのように糾弾した。ちょっと物を知ってるというだけで、浅ましい優越感を丸出しにするガキみたいなマニアはいるものだが、小学生は名実ともにガキなので、マニアのいやらしさも全開なのであった。
だが、家の中では、そんな話をすることはなかった。
母は、おそらく泣いたのだろう。赤く腫れた目は空を睨んだまま、歪めた口元に黙々と飯を運んでいる。侮蔑と憎しみは油膜のように父の目を覆っている。
安っぽい花柄の、薄汚いテーブルクロスをひいた食卓の上の料理は、60ワット蛍光灯の下で単なる有機物と化していた。
嗚咽が波打つ。空気は締めつけられ、いつ発火点に達するかもしれなかった。胃袋に詰めた飯が鉛のようだった。
「コドモはテレビに夢中」
その言説は小学生にとって有り難いものだった。小学生はテレビを熱心にみやり、何事にも気づかぬかのように振る舞うのが常であった。小学生は「連想ゲーム」の答えをしきりに考えている小芝居をしながら、アダムスキー型UFOの動力源について考察した。兄弟というものはなかった。 
そもそもUFOなるものが世間に認知されたのは、1947年、アメリカ人実業家、ケネス・アーノルドなる人物が自家用機で飛行中、九つの奇妙な飛行体を目撃し、その様を「投げた皿が水面をスキップするかのように飛んでいた」と報告したのが最初であること。またそこから「空飛ぶ円盤(フライング・ソーサー)」なる言葉が一般的となったこと。
さらにUFOにはアダムスキー型、ソンブレロ型、葉巻型、カップ型、土星型、球体型など百数十種もの形態があること。中でも「葉巻型」は巨大であり、後部に射出口のような形状が見られることから、小型UFOの母船ではないかと推測されること。
また、UFOはジグザグ飛行や急上昇など、物理法則を無視した飛行の仕方をすることや、しばしば軍や気象台のレーダーにも捕捉されることなどは当然の基礎知識として、古くは中世、日本では江戸時代から、空を飛ぶ妖しの物体の目撃例が残っているにとどまらず、古代壁画にまでUFOを描いたらしいものが存在すること、ナスカの地上絵も月面のクレーターも実はUFOの発着場であるだろうことなど、小学生は、ことUFOにおいては講演ができそうなほど、該博な知識を持ち合わせていた。
小学生は学校選定図書などといったものはろくすっぽ読まず、もっぱらUFOの本を読み漁った。
学研の「ひみつシリーズ」などは無論のこと、UFOと名のつく本、矢追純一から南山宏から中岡俊也のものまで、全部買って読んだ。さらには国内初のUFO専門情報誌「UFOと宇宙」などという渋いアイテムまで買いそろえていたのだから、ガキの道楽とはいえ、人はこの情熱に一目置かねばならないだろう。少ない小遣いとはいえ、その資金すべてをUFOに投入していたのだ。
小学生は、暇さえあれば「UFOと宇宙」を引っ張り出し、「実は月面には大気があった」「アメリカ政府はすでにUFOとコンタクトをとっており、CIAはそれをひた隠しにしている」などといった記事を、深甚なる興味をもってうち眺めた。
数あるUFO関連書籍の中でも、特にお気に入りは「サラブレッド・ブックス」から出ていた中岡俊也著「世界のUFO」という本で、これには
「UFOの動力は何か?」
「UFOの飛来目的は?」
といった科学的検証から、
「直径200メートルの巨大UFO」
「フランスでは週に三度出現」
などといった実録記事、さらには
「円盤に吸い込まれた日本人青年」
「金星に行ってきた女流画家」
「宇宙人に生体実験された夫婦」
などといった、小学生のハートを精密爆撃するようなレポートが数多く載っていた。小学生はそれらの話を、ほとんど暗記しかねないほどの勢いで熟読した。
そういった話の中でも、ひときわ興味深かった記事がこれである。
「宇宙人とセックスした女性」
UFOへの興味もさることながら、この「セックス」という単語に、小学生は尋常ならざる関心を抱いた。何だろう。わからない。わからないが友人や親に聞くのも、何故か知らぬがはばかられる。さらにもって何故かはわからぬが、鼻息がやたらと荒くなる。
ブラジル・リンス市郊外に住むテレオザさんという女性が、宇宙人とセックスした、というのがその話の内容だった。以下は本文の抜粋である。
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―昼の疲れと酒の酔いで、テレオザさんはベッドに入るとすぐ、軽いいびきをかきはじめた。
テレオザさんのご主人はセックスが強く、きまって一日おきに彼女を抱いた。彼女もまた嫌いな方でなかったので、いつもそれを快く迎えていた。そのリズムは結婚後七年間、一度も狂ったことはなかった。
そのリズム通りでいけば、その夜は夫婦の営みはなかったはずだったが…
「おや…」
テレオザさんは下腹部に加わる重みで熟睡から覚めた。しかしご主人のリズムをくずした行為と思い、眠りながらも体を開いていった。
だが、いつもと、手順が、テンポが違う。テレオザさんは肉感でそれがわかったが、ご主人以外の人だなどとは考えもしなかった。だが進行するに従って、その快感がいつものご主人とはまるっきり違うのにハッと気づき、燃えた体で目を開けたテレオザさんは、驚きに息を詰まらせた。
なんと、彼女の上にいるのは、ご主人とは似ても似つかぬ奇妙な姿の別人で、ベッドのそばにもう一人、向かいのご主人のところにもう一人と、合計三人の奇妙な人間がいるではないか―
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宇宙人の話は、無論興味深い。しかし、この「セックス」という言葉は、宇宙人と同等に、いやひょっとしてそれ以上に、心の奥を激しく刺激した。
「セックスが強い」
「彼女もまた嫌いな方ではない」
こうういったさりげない表現も、さらに好奇心に追い討ちをかける。「営み」「手順」「テンポ」などの単語も気をそそる上、おまけに最後は「快感」である。
それらの断片を綜合すると、セックスとは強弱があり、手順やリズムがあり、最終的には男女双方を快感に至らしめるという、秘密の、そして、間違いなくエロな行いであろうことが、推測された。そして、その行為は当然のこととして世間に認知されているらしいのだ。
一体、「セックス」とは何なのだろうか!!
しかもそれを宇宙人とするというのは、どういうことなのだろうか!!
焼けつくような好奇心を、小学生はもてあました。しかし腹立たしいことには、この文章ではセックスなるものに関する説明は一行もなく、そんなものは知っていて当たり前、という前提に書かれているらしい。
小学生は歯がみした。地団駄を踏んだ。なぜ、なんで肝心の部分を書いてないのか! どうして出し惜しみをするのか!
…ひょっとして、わざとわからないように書いてあるのかナ?
少年探偵団シリーズの愛読者でもあった私は、行間に潜んでいるであろう謎を解くべく、じっくりと読み進めた。本文はこんな風に続いた。
テレオザさんが「あなたは、宇宙人?」と聞くと、相手はうなずいた。目を覚ましたテレオザさんのご主人は怒り狂い、「ちきしょうっ、人の女房を!」と叫ぶ。テレオザさんは悔しさと怒りに震えながら「なぜ、わたしをこんな目に」とその奇妙な相手を詰問した。
すると彼らは、腹にある赤ランプを点滅させながら、
「テ…ス…ト…」
と金属的な声で答え、あわてたように部屋を出ていき、空き地に停めてあった円盤に乗りこむと、あっという間に飛び立った。
宇宙人がテストと称してエロな行為を行い、テレオザさんご夫婦を怒らせた上、そそくさと円盤で立ち去った、というのがこの事件のあらましであった。
だが「セックス」というものの実態がわからぬ限り、話の核心にはそれ以上迫れない。
草野球をやっている時も、小学生の頭は、UFOとかCIAとかSEXといった、妖しい三文字に心奪われていた。
「レフトがらあきだぞおらー!」
草野球の最中も、訳知り顔でそんなことを叫びながらもその実、心は地球の裏側、遠くブラジルのテレオザさんに飛んでいた。試合などはどうでもよかった。そして暇を見ては「世界のUFO」を取り出して、「セックス」というカタカナ四文字を、じっと見つめた。

ニシ君は近所に住んでいたが、学校は違った。彼は桐朋学園という私立の小学校に通う毛並みのよい小学生で、坂下のこぎれいな一軒家に住んでいた。小学生の住居は坂の上だったが、二間の木造アパートであった。
はじめて家に遊びに来たとき、ニシ君は我が家をみて「え、部屋が二つだけ?」と怪訝そうに聞いた。それ以来、ニシ君が遊びに来たい、と言っても、小学生はそれを婉曲に断った。「お客さんが来るから」というのがその理由であった。
「あの家、お客さんどこに通すの」
ニシ君はこんな事を聞いた。その問いかけに他意はなかったろう。小学生は「お客の部屋は別にある」などと言いつくろいながら、ニシ君がUFOにアブダクションされるところを想像した。
ある日、私はニシ君に誘われて桐朋学園の文化祭に遊びに行った。
桐朋学園は、小学校から中学、高校とエスカレータ式に進学できるという、教育程度の高い私立学園である。文化祭といってもその内容は本格的で、公立校雑種の私はいささか気圧された。国際間や世代でなくとも、カルチャーギャップというものは存在するのだ。
だが、数々の催しの中、うつむき加減の小学生の顔を強引に上げさせ、その目を釘付けにさせるような展示があった。
それは「UFOサークル」なる団体の、UFOに関する展示であった。
壁には、1967年、ワシントン在住のロドファー夫人によって撮影されたアダムスキー型UFO、1966年、アメリカの月ロケット、ジェミニ6号が撮影したというNASAお墨付きのUFO、さらには西ドイツで発表されたという、CIAが捕らえた宇宙人を両脇から抱える例の有名な写真などがパネル展示され、さらには宇宙文字を刻んであるという石、UFO飛行の原理、UFOの試作機などが紹介されていた。私は魅入られたように、それらの展示を凝視した。
この展示を企画したのは、タカサカさんというUFO研究家の男性であった。
UFO研究家、などといっても目つきも怪しい白衣の老人などではない。スマートで、軽くウエーブがかかった髪をもつ彼は、まだ青年といってもいいような若さで、銀縁眼鏡の奥の澄んだ瞳には、優しさと知性がうかがえた。
食い入るように展示物を見る私に、タカサカさんは色々な説明をしてくれた。
タカサカさんは、会社勤めをする傍ら、独自にUFOの研究を行っている人物で、何と、かの有名な「ジャガーブックス」に著書もあり、地元調布で「UFOサークル」の活動を行っているということだった。地元、それもそんな至近距離でそのような活動が行われていたことは、偶然というにはあまりにも出来すぎており、大いなる宇宙意思が自分に働きかけているであろうことは、もはや疑いもなかった。
タカサカさんは、UFOサークルのメンバーの少女が、神代団地の上空でUFOを目撃した、という話をしてくれた。
神代団地!
ワシントン上空でも、ニューメキシコの砂漠でも、ベーリング海峡でもない。級友のマツヤマ君が住む、神代団地である。手の届かぬ成層圏にいたUFOが、一気に至近距離に現れた気がした。UFO目撃は、もう夢ではない。十分、現実の範疇にあるのだ。
マツヤんちの上空にUFOが!
小学生の頬は紅潮し、目は輝いた。昂奮のあまり訳のわからぬ事を口走り、ガキの分際で超能力の存在について議論を吹っかけ、生命エネルギーが見られるというキルリアン写真に溜息をつき、ついでにタカサカさんと一緒に記念写真も撮った。
まったく、今日という日は、何という僥倖であろうか。
♪チャラチャーン! チャララララーン! ジャーン……
全国の小学生に鳥肌を立てさせた、かの有名なテーマ曲がテレビから流れ出る。UFOに関して運命的な出会いがあったその日は、折しも人気番組「木曜スペシャル・矢追純一のUFOシリーズ」の放映日だった。夜の七時半に始まるこの特番を、晩飯を食いながら熱心に見やった家庭は、当時何世帯あったのだろうか。
食卓の空気は冷えて淀み、負の電荷を帯びていた。母の唇の端から、言葉と共に、苛立ちと屈辱が漏れ出ている。
「だから、借りたんじゃない。恥ずかしい思いして、借りたんじゃない…今日のおかずだって、そのお金で」
「おい、子どもの前で、貴様」
父が見据える。うわずる言葉。睨めつける両の目。小学生は皿のハンバーグを見た。よりにもよってハンバーグだ。我が家ではごちそうだ。
…そういえばハンバーグの形は、1950年8月、編隊飛行でアメリカに現れたUFOに似ているな。
♪チャラチャーン! チャララララーン! ジャーン……
「…1966年、イギリス空軍の空輸部隊に属する、爆撃機乗員のボッブ・ストロングはイギリスのウオーミンスター上空に奇妙な物体を発見…」
続々と紹介される、UFO目撃の事例。アメリカで、ソ連で、そして日本で、UFO目撃事件は、跡を絶たない。昂奮と冷徹さを兼ね備えた、矢島正明のナレーションが番組をいやが上にも盛り上げる。暗い目が互いを睨め付け、ひきつったような言葉が、食卓の上に吐き捨てられる。小学生はUFOの形をした肉の塊を租借し嚥下しながら、ブラウン管から目を離そうとしなかった。

小学生は「UFOノート」なるものを作った。新聞、雑誌などUFOに関する記事があれば、細大漏らさずスクラップするのである。
探してみるとUFOに関する記事は、意外に多かった。何しろ当時はUFOや超能力が全国的ブームだった。日本中が熱中していた。「日本UFO党」などという政党もあったぐらいである。当時の私に投票権があったなら、迷わずUFO党に入れていたことだろう。
地元・調布にUFOサークルなるものがあることを知り、さらにタカサカさんと出会えたことで、小学生のUFO熱はさらにヒートアップしていた。そして一刻も早く、タカサカさんのようになり、大人の、本格的なUFO研究に着手せねばならないと考えた。タカサカさんは「知の巨人」であった。
ノートはたちまち切り抜きと、そして、克明なUFO目撃記録で一杯になった。
UFOは、ほとんど毎日のように目撃できた。
遠く空の端に、小さな黒点が見えれば、それは目のゴミなどではなく、UFOだった。
雲間に、ちらっと光るものが見えれば、無論、それは航空機ではなくUFOだった。
ビルの陰に何かがスッと隠れたような気がしたら、もちろん鳥などではなくUFOだし、西の空が異様な赤さに輝いていたら、それは夕焼けなどではなくUFOなのだった。何しろ未確認の飛行体ならそれはUFOなのだ。誰はばかることなくそれを「私はUFOを見た」と言えるのだ。
「UFOを目撃した際は、時刻、場所、方角、天候などを記録しておき、できれば写真を、写真が無理な場合はスケッチを残そう。そして目撃の証人として自分以外の現認者の存在が望ましい」
多くのUFO書籍は、こんなことを啓蒙していた。小学生はその薦めに忠実に従い、貴重な目撃情報を慎重に記録し、後年、美術大学へ通うなどとは、夢にも思われぬほどの下手くそな絵で、UFO出現の様子をスケッチし、親父のカメラを持ち出しては空ばかり睨み、無闇とシャッターを切った。
ある日、電話がかかってきた。UFO研究家のタカサカさんからである。電話口から、タカサカさんの涼やかな声が、にわかに信じがたいことを告げていた。
「今度、UFOとコンタクトをするんだけど、ハヤカワ君もよかったら来ないかい?」
タカサカさんが主催する「UFOサークル」のUFOとコンタクトする会に、小学生はお誘いいただいたのだった。
「します、します!」
小学生は電話機の前で小躍りした。外宇宙から降って湧いたような話であった。
(つづく)
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