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明るい原田病日記―私の体の中で内戦が起こった 森まゆみ
私はこの4月、100万人に6、8人しか発症しないという原田病にかかりました。この病気、知られてないし、情報があまりに少ない。 そこで私の体に起こった事を書いてみます。

第39回 フラジールな私

8月8日
NHKの川村ディレクターと女子医大に島川先生の話を聞きに行く。取材ということで申し込んだのだが、何時も診察では聞けない話をじっくり聞いた。
といっても3時半に午前中の診察がやっと終わったのだという。いかに先生を求めている人が多いか。先生がお疲れではないか。
診察が3時間待ちの3分医療になってしまうのは仕方ないか。いろいろ考えさせられた。先生は「結膜炎で大学病院にくることはないと思いますけれどね」という。町の眼科医で十分直せるものまで大学に頼る患者もよくない。
私の原田病は、先生によれば、ぶどう膜炎であって見落とされることが多いし、難しい病気ではあるが、ベーチェット病やサイコドーシスに比べれば失明の危険は少なく、しかもわたしの場合、早期発見で視力も確保されたのだから、番組を作ってことさら難病みたいに取り上げるのはどうかと思うというお考えのようであった。「もっと悲惨な患者さんは沢山います」とおっしゃるのだが、先生は沢山の症例で比較考量できるとしても、わたしにとってみれば、とうてい完治したとは思えず、これで十分不具合で、問題だらけで、つらいのだ。「よく有名人が闘病もので騒ぐけど、見ている人は不安になりますから」ともおっしゃった。
川村さんは「まだ番組にするかどうかもわかりませんが、するとすれば、病を得て、体や気持ち、人生観、死生観がどう変わったかを静かに描く番組になると思います」と言ってくれ、わたしは「原田病を知ってる人はほとんどいません。こんな病気があることを知ってほしいし、病像もできるだけ明らかにして伝えたい。それが物書きとしてたまたまこの病気にかかった私の使命ですから」と訴え、先生も「それは必要なことですね」と最後には言ってくださった。

8月9日
昨日はそのあと、バジリコの恵美ちゃんと3人で食事をしたのだが、川村さんの言った「フラジールな私」というフレーズがなんだか気持ちにぴったり来る。
フラジャイルとも発音するのだろうか、よく外国から来る段ボールに書いてある。壊れ物取り扱い注意。そう、人間の体も壊れもの、そのことがいままでは叩いても壊れそうになかった、壊れないと過信していたわたしにははじめてわかったのだった。「壊れものとしての人間」という大江健三郎のエッセイをそのむかし読んだことがあった。
でも私にはぴんときてはいなかった。そういえばブレジンスキーの「ひよわな花、日本」の原題も「フラジールフラワー」であった。

人は生まれてずっと、自分が病を得て、そのうち死ぬ存在だとは自覚できない。それをあまりに早く自覚すると何もやる気が起こらないのかもしれない。
それでもいまより結核で若く死ぬ人々が多かった時、戦争で若い人が命を落とすことが多かった時代、人間が壊れものであることをひとびとはもっと幼いころから自覚していたであろう。私は戦後、9年目に生まれた。ストレプトマイシンもすでにあった。生まれてこのかた、回りで死んだ人はごくごく少なかった。
そんな平和と医療のすすんだ時代に、幸運にも健康な体をもらって生を受けて、私は風邪も引かず、おなかも壊さず、熱も出さず、おできもできず、しごく元気であった。10歳位の時に盲腸の手術をしていらい、子供3人を産みに産婦人科にはいったときはこれで久しぶりに、ご飯も作らず、おしめも替えずにゆっくり眠れると快哉を叫んだものだ。自分がよもや御産で命を落とすなんて考えもしなかった。

福島で出血多量でなくなった産婦が、なくなる前に生まれた我が子を見て「まあ、なんて小さな手」と言ったという。福島の話は胸がつぶれる記事だった。その手を握り、ともに暮らすことがかなわなかった女の人。でも御産で死ぬ可能性があることは否定できず、それは何万分の一の可能性にすぎないとしても、医師を突然逮捕するような警察のやり方は穏当を欠く。
私が10万人に1人のめずらしい病気にかかったことはだれのせいでもない。しかしこれを僥倖とすることは可能かもしれない。
すくなくともわたしは人間は壊れものであることを知った。壊れやすい自分とつきあって行くのがこれからの仕事のひとつである。

著者プロフィール
1954年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。作家、地域雑誌『谷中・根津・千駄木』編集人。著書に『鷗外の坂』(新潮社・芸術選奨文部大臣新人賞)、『「即興詩人」のイタリア』(講談社・JTB紀行文学大賞)、『彰義隊遺聞』(新潮社)、『一葉の四季』(岩波新書)、『円朝ざんまい』(平凡社)、『自主独立農民という仕事』(バジリコ)など多数がある。

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